1000ウォン未満は「罪」か…KOSPI5500時代の二面性
KOSPI5500時代だ。大型株は連日で過去最高値を更新している。市場は熱気に包まれている。
しかしその一方で、まったく異なる空気が流れている。1000ウォンを下回る水準にとどまるKOSDAQ銘柄だ。規制の刃はKOSDAQへと向けられた。
韓国取引所は7月から、KOSDAQの低位株および不良企業の退出基準を大幅に強化する。表向きの名分は単純だ。
「低位株は投機に弱い」
「ゾンビ企業を整理してこそ市場の信頼が立つ」
間違った言葉ではない。問題はその手法にある。
今回の改編の核心は価格だ。株価が1000ウォン未満の状態で30営業日連続して維持されれば、管理銘柄に指定される。その後、90営業日のうち45日以上1000ウォンを回復できなければ、上場廃止手続きに入る。
時価総額基準は2026年から200億ウォン未満に引き下げられる。完全資本毀損は半期基準まで拡大される。開示違反の罰点が10点以上なら即座に審査対象となる。
これは単なる手直しではない。市場構造を変える水準の措置だ。業界では上場廃止対象が大幅に増える可能性も指摘されている。
株価を企業価値判断の単一基準にしてよいのだろうか。資本市場において価格は結果だ。業績、産業サイクル、投資心理、マクロ環境が絡み合って形成された数字にすぎない。
とりわけKOSDAQはベンチャーや中小企業が中心だ。研究開発に資金を投じる企業は、数年にわたり赤字を甘受する。景気後退局面では健全な企業でさえ無力に滑り落ちる。そうした企業まで「1000ウォン」という一本の線でふるいにかけるアプローチは妥当なのか。
さらに検討すべきは、KOSPIとの公平性の問題だ。KOSPIにも低位株はある。業績不振の企業もある。それでも規制の焦点はKOSDAQに合わせられた。変動性を本質とする市場に、より強い価格基準を当てはめる格好だ。
KOSDAQは本来、リスクマネーの場だった。失敗の可能性を引き受ける代わりに、成長の機会を開く市場である。
投資家保護とリスク縮小の趣旨は理解できる。しかしリスクを「価格」で統制しようとする発想はあまりに単純だ。30営業日連続基準は短期変動にも敏感だ。管理銘柄指定のシグナルだけで売りが集中する可能性もある。その衝撃は結局、個人投資家に跳ね返る。
もちろん不良企業は整理されるべきだ。度重なる減資や有償増資で株主価値を毀損する企業まで守れという話ではない。ただ、問題は不良を見極める物差しが価格であるべきかどうかだ。開示の透明性を高め、不公正取引をより精緻に監視することが優先ではないか。
KOSPIは最高値へと突き進み、KOSDAQは生存ラインを案じる市場。今回の規制が体質改善となるのか、それとも成長の芽まで断ち切る過剰処方となるのかは、まだ分からない。
ただ一つ明らかなのは、KOSDAQは単一の数字で裁断できるほど単純な市場ではないということだ。







